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左:荘芳枝 右;松原隆一郎 松山荘家にて2020.11.11

庄家三十代目 松山分家六代目   荘芳枝

 私は今年94歳。姉も妹も先に亡くなり、身内といえる人々も既にいなくなってしまいました。 900年続いた私の家も私で終わりになります。

 そこで我が家の歴史、特に社会組織の変動が激しかった上に二度も大戦争があった明治大正時代、松山村長・高梁町長として郷土の安定と繁栄を願って私財を投じ、借金までして町の発展の為に一生を捧げた祖父荘直温の生涯を地域の皆さんに知っていただきたく、「荘直温記念館」を作り、後世に残したいと考えました。

  然しそれは私か亡くなった後、その管理、運営、展示品の処理等の事を考えるといろいろな問題が多く残る事に気付き悩んでいました。そこで遠縁の栗野哲郎さんに相談し、いろいろと考えてもらいました。考えた末「記念館を作るより本にまとめて残すほうがよいのではないか」との提案がありました。

 そして哲郎さんの熱心なお願いによって放送大学教授である松原隆一郎先生とお会いできる事になりました。私は家に伝わる系図や古文書、祖父が書き残した手紙や書類をまとめて先生にお渡ししました。その成果が『荘直温伝』として2020年4月に吉備人出版から刊行されました。

 そこには私の知らない事、そしておそらく多くの人々も初耳だと思われる記述が多く記載されています。私は今まで町の発展の為に一生を捧げた祖父の生き様だけはどうしても後世に残したいと思っていましたが、先生のご熱意と探究心責任感によって個人史から町史へ、町史から県史へ、県史から日本史の一部にまで幅広い歴史本になりました。皆様宜しく御高覧いただければ幸いです。

 さらにこのたび、父の荘四郎が亡くなったあと私が保存してきた庄家の史料を岡山県立記録資料館に寄贈することになりました。保存と公開をしていただけるということで、定兼学館長には心より御礼申し上げます。

 つきましては、松山庄家から寄贈することになりました史料の内容を、松原隆一郎先生の監修のもと、インターネットでもご紹介することにいたしました。岡山県立記録資料館に足をお運びいただき、私が松山庄家で守って参りました史料の現物をご覧下さい。本サイトがその手引きとなりましたら、うれしい限りです。

放送大学教授 東京大学名誉教授 松原隆一郎

 私は2018年の11月に栗野哲郎氏と出会い、翌12月には備中高梁に出向いて荘芳枝さんに初めてお目に掛かりました。祖父である荘直温氏の功績につき評価・執筆することを直接依頼され、当初はお断りするつもりでいたものの、芳枝さんのあまりにまっすぐな眼差しに打たれ、引き受けることにいたしました。

 以来、2019年には7度高梁を訪れ、2020年4月になんとか『荘直温伝 忘却の町高梁と松山庄家の九百年』を岡山市の吉備人出版から上梓することができました。

 本書執筆に当たり、当惑したのは論拠の扱いです。私は「高齢者に読ませたい」という芳枝さんの依頼にもとづいて活字は大きく文体も易しく書くように心がけましたが、それでも論述の方針としては「学術的であること」を徹底しました。私は歴史学にも地方史にもまったくの素人です。けれども学術的にものを考えることについては、専門家としてこれまで活動してきました。学術といっても考え方は至ってシンプルです。証拠を挙げることと、推論の筋道を明確にすること。その2つに過ぎません。それは東京大学で新入生が受ける「初年次ゼミナール」でも、当たり前のように説明されることです。

 証拠としては、史料があります。それはいつ記され、どこで保管され、どんな内容なのか。社会学などではインタビューや社会調査も証拠になりますが、昭和3年に亡くなった荘直温については会ったことのある人も今では存命ではありませんから、「松山庄家のその後」を描いた章以前はほぼ文字史料と写真が中心となりました。

 これだけの史料があるのだから簡単だ、と当初は思っていました。私の手持ちの理論は「社会経済学」なので、その「歴史編」と見立てれば済むからです。ところがじきにそうした甘い考えは消し飛びました。通常、学術の手続きでは、第一歩として既存文献を集め、それぞれが決定的に重要な証拠の原本をどう扱っているのかを検討をします。ところが『荘直温伝』の場合、荘芳枝さんから手渡された古文書以外の既存文献については、原史料の内容や所在が明らかでないのです。

 私は通常は何かの分野に取りかかれば1~2日で主要な論文の著者および重要な原史料に当たりをつけます。私は、「若い頃はフィリピンにいた」という50年前に直接祖父から聞いた言葉を想い起こし、祖父の旅立った日時と場所、行き先を、1週間で外交史料館の手書き文書から見つけ出しました。史料捜査については、それなりの技術を持っています。ところがそうした「当たり」にまったくたどり着けないのです。

 幸いにして『荘直温伝』そのものは津々本家および松山荘家の由緒書、芳枝さんが保存していた1700年代からの古文書、そして現代についてはインタビューをもとに原稿を仕上げることができました。その中で私は高梁市教育委員会および専門家諸氏に厳しい批判を行いましたが、それだけに私自身が参照した文書は、広く公開する必要があると痛切に感じました。

 そこで松山庄家がながらく保存・相続してきた史料がこのたび岡山県立記録資料館に寄贈されるに当たり、その内容をインターネットに写真として公開することにしました。そこには余計な注釈は加えません。『荘直温伝』は著者である松原隆一郎がそれら史料から導いた仮説をまとめた書ですが、別様の解釈が成り立つ可能性があるからです。みなさん、是非、岡山県立記録資料館を訪れて下さい。そして松山庄家の史料をご覧下さい。そこから何らかの議論の輪が拡がるならば、著者としてそれ以上の望みはありません。